June 30, 2010

2010 FIFA World Cup

サッカーのことしか書けないよ。

いまだ動悸が激しくて、デフォルトだったのかそうでないのかもよくわからない。
「すげー」と「やべー」と「あぶな」と「ひょおー」と言っていた。
「やべー本田やベー」「惚れた」って思っていた。
こんなに上手いと思ったのも始めてだし、こんなに面白かったのも初めてだし、悔しさというか寂しさというか選手達への尊敬と愛というか、そういうのを感じてものも言えず、やっと幸福感に浸されている。多分見てた人全員が全員、彼らに抱きつきたいと思う。
「ありがとう」とか「よくやった」とか「日本!」とかもうそういう常套文句は言いたくないのだ。言葉にならない、とか、筆舌に尽くしがたいとか、何も言えねえとか、もうそんな言葉はいいのだ。今は言葉を放棄したい。むしろ虎になって吼えたい。山月記の如く。

サッカーは、今まで面白くなかった。でもそれは、いいサッカーを観てなかったからなんだ。今までだって世界のどこかで素晴らしい試合はあった。私には見えなかっただけなのだ。
本当に、年取ってよかったなあと思う。最近微分の意義もわかったことだし。こんなにいろんなものが面白く思えるようになっていったら、一体これからどんだけ面白いことばっかりなんだろう。オラ、わくわくすっぞ。

F1も、サッカーも、野球も、ゴルフも、ウィンブルドンのナダル戦も観たいのである。
面白いものばかりよく人類発明した。祖先Thanx。

幸福感に包まれて寝る。

June 29, 2010

真綿のような 2人は 夕焼けに

音楽を聴くと、音楽ばっかり聴いてしまうから、ちょっと断っていた。

しかし久々にちょっとテスト前気分味わって、司法試験ほど重くなくって、ちょっと面白かった。経済学は結局ミクロの途中まで(不完全競争市場くらいまで)しか終わらず、日本史とか社会学系は全く手をつけられなかった。けれど、とにかく経済学は独学によい本(超入門書)を見つけたので楽しかった。というか、終わったみたいになってるけどこの際ちゃんとマクロまで行こうと思う。G!D!P!
微分の意味が(意義が)初めてわかった気がする2010、夏。

音楽というのはひたすらに心震わせるので、心が震えちゃ困るときには聴かない。
そして、私はシングルタスクな人間なので、何かに集中してないといけないときには聴かない。
ブログ更新するとか、会社で資料作るとかならよい(20時以降はサビ残なので聴いてた。けど、21時以降はGMの石橋さんが面白くなるので、聞き逃さないために音楽自重することもあった)。
というわけで、今はアワーミュージック。

やくしまるえつこを結局すきなのは多分、私の場合萌えというのではなくて、なんだろうな、心地いいのだ、単純に。萌えっていうのは、多分、今庭に雀が来た時の感情だと理解している。かわいい。あと、中学生の坊主のはにかんだ笑顔とか。かわゆい。
高校時代友人が、英語の先生について「波長がやたら合うのです。声、とか。λ(ラムダ)。」って言っていた。この友人とはずっと一緒にいたけれど、多分波長が合っていたのではなくて、相性がよかったのだと思う。その証拠に、彼女の言う波長が合う人と、私は波長が合うのを感じたことがなかった。というか、波長が合う人って父くらいだ。まあ人それぞれ。

音楽のことは今までも散々書いた、もうほんとに散り散りになるほど書いた、よくわかんない言説。
高校時代が一番聴いたかもしれない。
私はうたうのが好きだ。うたわないように思われているけれど、本当はうたいたいけど我慢している。機会がないから。妹達は教会の賛美グループに入っているから、よく練習でうたう。羨ましい。
きっと、今度、姉妹でカラオケに行ってやる。
で、ほんとに話が発散するのだけど、高校時代は音楽を聴くと興にのって一緒に歌ってしまい、CDまるまる1枚の時間歌うということがままあった。椎名林檎だとかCoccoだとかジュディマリだとかCHARAだとか。歌いはじめると、歌詞をちゃんと歌えないといやなので、歌詞カードまで持ち出す。気づけばCDプレイヤーの前で小声で歌っている進学校の受験生の図。
親に見られると恥ずかしいので、こっそりうたう。
勉強しなきゃいけないのに、歌っちゃう。この罪悪感。
なので、今日は勝訴ストリップ歌ったからもう勉強、と言って断った。

高校生の頃の老後の夢は、海が見える風が吹く草原に小屋を建てて、ひとりでそこに住み、窓際で歌って暮らすことだった。その光景があまりに鮮明にイメージできたので、多分映画か夢か何かで見たのだと思う。今の理想の老後の絵もあまり変わらない。
確かそういう絵を文集で描いた気がする。地球の上にドレッドヘアの女の子が立ちすくんでいる絵。ロマンチストすぎてはずかしい(大人になって、自分よりロマンチストな人が見つかった時はとても嬉しかった)。

あの頃から宇宙好きである。あれは「宇宙のみなしご
」(著・森絵都)という本と、JUDY AND MARYの「風に吹かれて」の影響だと思う。永遠に銀河の風に吹かれて。


で、今も音楽聴くときは音に埋没してしまうので、たとえば塾までの道に生徒に会っても気づかないように、Blueを聴くわけだ。埋没埋没。私はみんなから見えない見えない。音楽でシャットアウトするのはそういうときはいいけれど、いつか友人に指摘されて、車の音や風の音、鳥のさえずりや葉ずれの音なんかを聴くのもいい、というのはあるな、と思った。
どちらにせよ、聴覚感覚の素晴らしさ。聴覚ってその空間を把握するのにものすごく雄弁である。静かな静かなエアコンの送風音。家着のワロワロズボン(ボーダー柄を家ではこう呼ぶ)の擦れる音。かちゃかちゃと小気味よいキーボードのキーの音。冷蔵庫の振動音。それらを空気の包み込む感じ。そういうののことも、勿論愛しているわけで。

When she loved meという曲があって。これを早稲田の早実があったあたりの歩道で聴いていると急に枯れ木に風に光に美しさとかなしみを見出したことがあって。その時は静かにヘッドホンを外したっけ。

そういう思い出。
今ちょうど、「風に吹かれて」の流れでジュディマリが、「思い出はいつもきれいだけど それだけじゃおなかがすくわ」とうたっておられる。そうさ、音楽と言うのはおなかがすくのだ。

あの頃見つけたまっしろな想いとざわめきを

天才か。

June 26, 2010

自省録

一.最近エントリが長いことについて

これはよくない。
理由は3つある。

1.そもそも話題がでかい
 これは「ぶらり街歩き」「電車」ラベルに顕著な傾向である。一個の街の話題にエピソードやら電車のことやら店のことやら駅前の様子やら地図やら詰め込むので、ひたすらに長くなる。これらのエントリ自体はもしかしたら検索で来た方々には有用な情報も含まれているかも知れぬ、が、このブログはgoogle検索には引っかからぬようにしてあるので、そういう方々の利益も想定できない。
その町に行ったときにふと、「ああ、神田川って、早稲田と中野新橋つないでたんだっけなあ」と思い出してもらえたりしたら幸福である。

2.書きたいことがまとまってない
 理想的なエントリというのは「考え」ラベルである。一通り自分の中でちゃんと考えて、暫定の結論が出たもの。一応意味があると思っているもの。ストックしててもいいかなと思うもの。これはまあ長くなるにせよ中身はある。
「文句」ラベルのものも、メモなので書きたいことは決まっている。
こういうのはまあさくっと終わる。
そうじゃなくてただ書きたいと言う欲望のために文章の体すら整っていない冗長な文章を綴ってしまうということがある。これは嫌悪する。

3.酔っている
 同じことばっかり書いてしまう。感性にばかり頼りすぎるとこうなる。今日も孤独、明日も孤独って、そんなん毎日孤独なんだから孤独感ばっかり書いてても仕方がない。月がきれいだねーとか言うのもそれ。今日も楽しかったなーとかいうのもそれ。故郷って、とか、沖縄って、とか、東京って、とか、要は寂しがってるだけだ。
まあ気分的なエントリがあっても勿論いいのだろうけれど、くどい。くだをまく、っていうのはこういうことだ。べろんべろん。

あ、あくまで個人の嗜好の話ですのでお気になさらず。
コンサル風に3つの理由掲げてみたけど、もう一個くらいありそうだな。引用系とか(勿論MECEではない)。


ニ.このブログの更新頻度について
最近、べらぼうに高い。
ほぼ毎日更新するということがどういうことなのだろうかと、やってみたかったと言うのもありつつ、眠れない間暇なのでどうせなら更新してしまえと言うのもありつつ。
毎回こんな長い文章誰が読むんだよって私か、って私読まないよ?みたいな。
おそらくは、ブログのエントリのクオリティ・ホスピタリティを上げるためには更新頻度は下げたほうがいいなと思っている。不親切だ。


AS IS
・書く前にこれを書くべきかどうかの吟味を怠っている。
・書くことを決めていない
・書き方の工夫がなく冗長

TO BE
・書くかどうかの吟味。このブログに書くに適する話題か否か。
・書くことを決める。書く内容について熟考したか、結論は出たか、それらの見通しがあるか。
・書き方を工夫する。長くなりそうなものはテーマ別とか時系列で分ける。

ざっくり。

なにこれ。仕事?

June 25, 2010

わがまま(trial)

またもや、で恐縮だけれども、内田さんとこの文章。
直近のリンガ・フランカも共感することしきりだけれど、その前のエントリ。
内田樹の研究室:幼児化する男たち
なんだろうね、この

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かつて「私と仕事と、どっちを愛しているの?」と訊くのは専一的に女性であった。
ただし、女性にとってこれはあくまで修辞的な問いであり、この問いの含意はストレートに「そんな『くだらないこと』してないで、私と遊びましょ」というラブリーなお誘いであった。
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っていうところがいい。まあこの文章の本旨と直接には関係ない。


ここ30年弱、かつ、意識的に生きているのはここ10年くらい、という、この世歴の浅い私にとって、男たちが本当に幼児化しているのかどうかは検証できないが、男の人が幼いところを多分に持っているということは感じている。
で、それは生来のものであって、女の人が生来ある程度感情的だとかなんだとかいう(いまいち把握してないが)ものを持っているということと同じように、責められないことではある。むしろ、おそらくは、女性の多くがその幼さに惹かれてしまうのであり、幼さ自体はまあいいや。多分、わがままだっていうことが、問題になっているのだろう。
わがままな男が意外にもてる、というのは、ある。多分。俺様好きな女子というのは、一定数いる。かつ、俺様好きではないと思っていても段々そういう風になってしまうことというのも、ある。構ってほしいんだな、かわいいな、などと思ってしまうとだめである。そういうのを巧みに使う男の人というのはこれもまた一定数、いる。
まあとにかく、「オレと仕事とどっちをとるんだ」なんていうのは端的に格好悪いと思う。
放っておかれてラッキーくらいで丁度いい、気がする。


で、わがままについて。
わがままについて書いてみよう、と先ほど思い立ったためである。

わがまま、という字面を見てると、変な単語だなと思う。ブブゼラみたい。

江國香織が、今はどうだか知らないが(多分今もそうだと思うけど)、昔甘やかすということについて書いていて、甘やかすことは素敵だと言っていた。大人なんだから、夫婦なんだから、甘やかしていいじゃない、そんなになってまでしつけをするなんてばかばかしい、とまでは書いてないかもしれないが、まあそんな感じ。
思うに、彼女は極端に甘やかしすぎだ。具体的にどういうことを許しているからとかそういうのは実際を知らないからわかんないけど、つまり、そういう風に思っている時点で。甘やかしを全面的に肯定している時点で。彼女の小説、特に、夫婦の描写(「赤い長靴」「思いわずらうことなく愉しく生きよ」)なんかはもうそんな感じがするし。ていうか後者DVだし(各家庭それぞれあるだろうけれど、このケースは甘やかしなのだ)。

なんかこういう風に書いていると、女の人が男の人をしつけるみたいな口調だけれど、そういうわけではない。いや、そういうわけなんだけど、そういうわけではない。物事というのはいろんな面があるのだ。手のひらで転がしている、と思っていることによって転がされている、というパターンもあるわけだし(友人はよくこれを言っていた。自分が彼を手のひらで転がしてるって思わせるように、転がしてほしい、って。)。


で、わがままね、わがまま。
私は結構わがままである、多分。棚に上げるのは常套である。自覚はあまりないけど。
昔、付き合っている人に、「わがままだ」と言われて、「『会う』こと以外でわがままを言ったことはない。バッグ買ってとかどっか連れてってとか。だからわがままじゃない。」と言い返した覚えがあるのだが、多分むしろそういうわがままの方がかえって楽だったかもしれないと今思う(その人はやさしかったのでそこで「そう言われればそうだな」と言って終わった)。だって会う時間を割くということはその時間他のことをしたり誰かに会うということを犠牲にしろといっているわけで、それって結構重大。時は金なり、いや金以上なり。
昔はよりわがままだった、という話。それこそ私も「会いたい」というわがままを言えるから恋人は恋人たりうるのだと思っていたし。


わがままを言わないようにするというのは結構大変である。
大体、それがわがままかどうかというのはボーダーが曖昧である。言い方次第な感じもする。わがままっぽく言えばそう聞こえるし、そうじゃないように言えばそう聞こえない。

結構書けないもんだな。ギブ。
自分自身がわがままについて肯定的態度をとっているのか否定的態度をとっているのかいまいちわからないからだと思う。厳しくしてるようで意外と甘いのである。塾でもそう思う。遺伝だな。母も厳しいようで意外と甘い。ということがわかってきた。

ああ、そういえば斜陽読み終えた。感想を書くかもしれない。

June 24, 2010

――御幸福?

幸せという言葉のわけのわからなさ、定義の出来なさ、反問の余地の大きさ、そういったものが、
「ああ、幸せだ」
という時の、それを言う側と聞く側の、一義的な感慨を生むのだろうなと、なんとなく思う。
それが実際に幸せであろうとなかろうと、そこは問題ではない。そう言った、ということが重要なのである。もしくは重要ですらない。


「――御幸福?」
という太宰の一節がぐっとくるのは、そのせいだ。
私は幸福だろうか。幸福とは一体何のことであろうか。それを知ってこの質問をしているこの人は、一体どんな答えを私に求めているのだろうか。幸福であってほしいのかそうでないのか、幸福であろうとなかろうと幸福といってほしいのかそうでないのか。

なんてうら寂しいいじらしい問いであろうか。


こういうものは横展開できると相場が決まっておる。「元気?」だってそうだし、「きれい?」だってそうだ。

かなしくなってしまう。


例えばこの問いに、

「幸福だよ」

と答える人と、

「そうでもない」

と答える人と、

「幸福って?」

と答える人があるとしたら、ロマンチシズムの観点から言えばきっとひとつめと、ふたつめがいいんだろうと思う。
それにたいして「どうして?」と問うのは、みっつめの答え方と同じだけリアリズムがあるけれど、私はきっとどちらも求めてしまうのだ。もしかすると、女性は。つまり、ロマンチシズムとリアリズムを同時に。

ロマンチシズムの意味を履き違えているような気もするのだけど、これってば粋の話なのだ。
「幸福だよ」「そうでもない」
これにはあとが続かない。続けさせようとする意志がない。この態度というのは諦念なのだ。諦め、媚態、渋味。艶。

「幸福って?」「どうして?」
これには野暮ったい、リアリズム。追求するのは野暮。追いすがるような問いかけ。でもそれを感じなければ、恋をしていれば不安になる。

私は経験上、粋を好んでいながらつい野暮な女である。
そうして、粋でいることの寂しさを知る。粋は、面倒くさがるということともつながっている。
ラブリーにじゃれあうというような先の野暮な問答は、面倒で粋じゃないのである。でも寂しいのである。

「どうしたらうっとうしいことが起こるんだろう」江國香織/思い煩うことなく愉しく生きよ

尾形亀之助の詩にたしかそういう愛らしい会話があった。
きっと今度載せよう。

June 23, 2010

故郷

だらだらと、東京での思い出の地を書いている。
東京を知らない人だと全然面白くないだろうなと思いながら書いている。
思い出しながら書いているのだからもう記憶には記録されているはずで、この場合ブログに書くことに備忘録の意味は無い。じゃあなぜ書いているのかって、一つには書きたいのに書くネタがないからで、一つには郷愁募ったからである。

先のエントリにも少し書いたが、通っている美容室は東京に8店舗くらい、沖縄に1店舗だけある。他府県にはない。社長が沖縄好きで将来ここでやりたいから展開している、と聞いたけれど、実際今勤務しているのは東京で勤務していた美容師さん4人と地元採用だろうか、1人のネイリストさんがいる。みんな東京に暮らしていた人々なので、私がそっちの話題にのれるとわかるとうれしそうに話す。沖縄に来るなんて結構すごいなと思うのだけど、みんな淡々としている。若い子は多分20かそこらだ。
私はこの美容室が好きで(他に浮気をしたことも実はあるけれど、だめだった)、どこの店舗も結構好きだった。スタッフの仲がいいし、礼儀正しいし、てきぱきした雰囲気がいいし、私が黙ってればやたら話さなくていい。


そういう、東京への郷愁が少し前にはあったわけだ。美容室の下りは、まあそういう同士がいるということ。
郷愁とは何ぞや、と思う。


故郷って何かしら。
生まれ育った場所。よく聞く話だけれど、生まれと育ちが違う場所で、かつ転々としていたら、故郷はどこになってしまうのかしらっていう。
それで、やっぱり極端な話、心の置き所というものになるんじゃないかと思うのだ。
そうすると、これはある意味どこでもよくなる。その人次第になる。
これは一応措く。

もしかすると、家族の所在地だったり、生家の所在地だったりが重要なことなのかもしれない。
見慣れたものがある、とか、そういうことなのかもしれない。
遠い記憶をなぞれるものがある、そういうことなのかもしれない。


私の場合、多分、故郷は沖縄なのだろう。
それで、考えてみると、家族の所在地であり、生家の所在地であり、見慣れたものもあるし、遠い記憶をなぞれるものもある。
うん、故郷だ。申し分ない。
しかし、これらがなかった場合は故郷たり得ないだろうか。
家族がみんないなくなってしまったとき。家がなくなってしまったとき。見慣れたものがどんどんなくなってしまったとき。遠い記憶をもはやなぞることができなくなってしまったとき。
沖縄は故郷ではなくなるのだろうか。

私は、沖縄という土地だとか人だとかそういった具象的なものだけではなくて、いやむしろそれらとは全然関係なく、「沖縄」という概念に縛られていると感じるときがある。
勿論そうなったのは沖縄で生まれ育ったからだけれど、つまり自分自身が「沖縄」に属していると、「沖縄」を愛してしまっていると思うことがある。「沖縄」という概念を、だ。
沖縄の人々をみな愛しているというわけでもなく、沖縄の景色をみな愛するでもなく。
沖縄の人はみんないい人、なわけはない。ヤンキーだっているし馬鹿だっているし殺人だって起こる。
多分、私は「沖縄」を大切に思っているのだ。
で、「沖縄」ってなんだろう、っていう疑問が提示されるわけで。

これをうんうん考えたくて、ずっと来ている。私は「沖縄」に縛られている。

概念は分解されなければならない?
概念は分析されなければならない?

ペンディング。


で、東京。

東京にいる間は沢山のものを見たし思い出もあったし、大切な気持ちを覚えた場所もある。
東京は孤独であった。
東京の孤独を思い出せる場所はきっと故郷で。
そういう故郷への郷愁を、早慶戦の喧騒の中に見出しては息を吐く。

日常の瑣事に充実などをし甘露味を覚えていても、呆けているのだ。

June 22, 2010

学習院下

学習院下。

というのは早稲田の近くです。名前からして学習院の近くでもあります。丁度真ん中くらい。
ここが大学の学部3年~院3年まで4年間住んでいたところ。


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そもそもなぜここに越したかというと、というかその前にどこにいたかというと、目黒→鷺ノ宮なんですね。どちらも電車に乗らないかん。1限死ぬ。ということで、歩いていける場所に住もうそうしよう、交通費もかかんないし、という試み。

日当たりで決めました。日当たりだけ、他の物件よりよかった。あと治安。あの辺はのどかです。学習院のお膝下だもの。ごきげんよう。
スーパーも近かった。よしや。なかなかいいスーパーで、酒屋さんもあったし、クリーニング店もあったし、マックもあったし、花屋さんもあった。とても便利。おまけに道路の向こうには郵便局もあった。あのへんは本当にあちこちにそういうのがある。便利。おまけに一歩出れば早稲田通りで、ここを歩くことを早大生は馬場歩きと言った。

ここはラーメン激戦区で、いろいろ有名店があり、特にラーメン好きというわけではない私ですら何軒か行った。おかげで先日の美容師さんとの会話がラーメンで盛り上がった(この美容師さんは何年か前、高田馬場店の店長だったのだ)。
「一風堂できたときなんて感動しちゃって替え玉7回やりましたよ」
「ええええやりすぎですよ。あー私黒蘭好きでした」
「あーあのカウンターだけの、細長いとこですよね?あーあそこも結構癖あっておいしかったなあ。あのへんほんといろんなとこのがあって素晴らしいんですよね。」
「あー、えぞ菊とか札幌ですしね」
「そうそうティーヌンとかタイだし」
「そこもおいしいですね」
「あそこはラーメンマニアの聖地なんですよ!」
と興に乗った店長は沖縄のラーメン店の最近について教えてくれて、いつか独立したら高田馬場に住みたい、いつかラーメン店やってみたい、という夢を熱く語ってくれましたとさ。
私美容室行くとこんな感じです。
前の担当者さんとは「童夢君」の話されっぱなしでした。

脱線脱線。で。
都電荒川線がすぐそばを通っていて、少し風情もあるし、都電で池袋あたりまで行けたりもする。山手線とも大塚で接続するし。早稲田までは2駅だったので、ほぼ歩いたけれど、電車のが早いし疲れないので(院のころはいつも大荷物であった)、まあまあ使った。後半はsuicaも使えたのだ、都電だけどハイテク。


管理人さんははきはきとしたおじいさんで、いい人だった。いろんなものをくれたし(スイカとか、彼氏と一緒に使ってねというキーホルダーとか)、よく声をかけてくれたし、もうご高齢だったのにボーリングが好きで、別の階の大学生たちと一緒に行こうと誘われた(結局行かなかったんだけど)。歌舞伎のお家らしくて、昔の写真を見せてもらったこともある(残念ながら私は詳しくなくて、わからなかった)。故郷のことを、「くに」と発音した。「おくににはいつお帰りになるの?」


近くには神田川が流れていた。
神田川というのはきれいじゃない、むしろ夏なんかは匂いまであるような川なのだけど(しかも明治通りと交差するところには自転車が何台も投げ捨てられている)、なぜか風情があるように聞こえる響きだ。窓の下には神田川、である。三畳一間の小さな下宿。
早稲田へ続く神田川沿いには、桜並木があるのだ。入学当初はここに住んではいなかったが、桜の薄桃色に誘われて、母と二人入学式を終えて川沿いへ見に来たのだった。丁度桜の散る頃で、風がそよぐたびに沢山の花びらがひらひら舞い落ちて。川は桜のじゅうたんのようで。
そういうのを見たのは私も母も初めてだったから、やけに感動したのを覚えている。

そんなわけで、神田川は通学時に必ず横を通る身近なものだった。桜の落ちて、葉の茂る頃は、わろし、と心の中でつぶやき、それでも木陰を求めて側を歩いた。
中野新橋でジニアスへ向かう途中に渡った川が、神田川だったときはおどろいた。
まあ早稲田からここまでも流れてきているのかと、懐かしくて、橋の上で月を眺めて川のむこうへ思いを馳せた。つながっているのだなあと思った。


最寄駅は強いて言えば4つあった。都電とバス停以外は徒歩10分強。
学習院下(都電)、高田馬場(JR山手線、地下鉄東西線、西武新宿線)、目白(山手線)、早稲田(地下鉄東西線)。
バス停は、学習院下。

明治通りが通っているので、バスで新宿も渋谷も池袋も行ける(明治通りというのはこれらのエリアを貫いている)。なので、新宿とかで終電すぎてもがんばったら帰れる。馬場なら全然帰れる。というか、他のメンバーが帰れないから帰れない。むしろオール。意味ねー。


ここで都電荒川線でも。
現在東京に一つだけ残る路面電車である。荒川区の方から早稲田までをつないでいる。
早稲田の次は、面影橋。面影橋の次は、学習院下。次は、鬼子母神前。恐れ入谷の鬼子母神、の方ではない。次は、雑司が谷。霊園がある。名前が面白い。

都電荒川線は、バスみたい。ブザーがあるし、suicaやpasmoが使える。バスカードも使えた(今は知らない)。貸切も出来る。最近クラシックな感じの車両も登場している(いまいちだけど)。何気によく使っていた。地下鉄に出るには歩かなくて済むので、急がないときはそうした。おじいちゃんおばあちゃんがバス以上に乗り込んでくるので、基本立つことになる。東京訛りが聞ける。ドラマか寅さんみたいである。ゼミのY先生は年寄りを嫌って、都電とか大嫌いと公言していたが、なかなかどうして面白い。試験前は学生が必死にノートを見返している(私含め)。大塚あたりに住んでいる学生が乗ってくるのだ。

私は結構夜出歩いていて、あの辺の夜は好きだ。
コンビニがいつでも煌々と照っていて。車が通っていて。
あの頃はいつ起きても学校があいていたし、いつ行っても良かった。だから朝の6時に歩くのもよかったし、22時に重信銅像とその後ろにそびえる木々を見上げながら、そして講堂を見て帰る帰り道も好きだった。
危ないようで、危なくなかった。時たま人が倒れていたりしたけど(酔いつぶれて)、たまに、だ。

次回は早稲田。
キャンパス周辺を主に。

どうでもいいけど、学習院とガーシュウインって似てる。

June 20, 2010

近況

髪を切った。暑いから。おばあちゃんに、「高校生みたいになったね」とほめられた(多分)。やったー。

結構長い(とはいっても鎖骨くらいだけど)時もあったけれど、冬の間伸ばしていても大体夏の初めに切ってしまう慣例になっている。暑いから。
それで、私と同じ時期に会うと大体同じ髪型である。毎年8月頃帰省するときに会う友達なんかは、いつも顎下で切られたショートボブの私を見ていたはずである。

会社にいたときに、入社当時長かった髪をばさっとショートにしたことがあって、その際年の近い先輩なんかは男女関係なく「お、切ったんだ?いいじゃん」とか言ってくれたんだけど、50くらいの社長や役員なんかは気まずそうにして全然触れずにいて(小さい会社なのでよく顔を合わす)、他の社員が「mogさんさっぱりしましたよね、ほら」とか話を振ったときに、「いや何かあったのかと思って・・・」と気を遣われていた。
女性が急に髪を切るというのが、何かの意味を持っている(ことがある)と思ってるんだなあとちょっと面白く思った記憶がある(まあ特に声をかける必要がないと思ったのかもしれないけど)。
私は失恋したときに髪を切るもんかと1年以上がんばった女だ(彼に髪を伸ばせと言われていたこともあって、別れたとたんに切ると奴のために伸ばしていたようになるのが癪だった)。まあ、後半は髪切りに行く暇がなかったからってのもある。


そういえば、友人に、髪を切ったことに全く気づかない、という人がいて。人が人を認識してる方法ってもしかしたら大分違うんだな、と思う。
私は結構気づく方だ、言うか言わないかは別にして。多分髪型を含めて人を認識している。でもそういえば、持ち物とか身につけているものは意識しないとほとんど記憶していない。どういう眼鏡だったかとか、どういうかばんだったかとか。で、結構みんながよく見てることに気づく。「指輪してたね」とか「かばんお洒落だったね」とか。おお。って思う。


まあそんな感じです。

June 18, 2010

怖い絵、やめました

怖い絵は、こわいので、やめました。
見ちゃった方、勘弁してください。

要するに、思ったことは、
醜いも美の一部であるということと、
人間性の正体はもしや狂気との闘いかもしれぬということと、
芸術が殊更にそれを描こうと躍起になっているということ、
あたりです。

June 15, 2010

中野新橋

久々のぶらり街歩きことbramogは、中野新橋。

これ時系列的に逆ですが、住んでたところを辿ります(実はこれの沖縄版をリアルでやりたいなあと思っている。懐古趣味上等だし、まあそれだけじゃなく違う世界が見えるでしょう。そういう今と今でない時間の重なる感じが心愉しいのです)。

よし、地図。
地図ないとはじまんないから。地図とか路線図とかかなり好きだ。安心するし。納得する。視覚に頼りすぎだな。


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中野新橋には2007年の8月から12月くらいまでいた。
ゲストハウス暮らし。
ゲストハウスというのは、お金がない旅行者が泊まる宿で、キッチンリビングバストイレ共同。というイメージだったのでおっかなびっくりだったが内装きれいだし女性専用だし、結構快適であった。ここの場合個室も与えられている。3畳くらいだけど。そこで更新したブログも残ってる。たしかaccelerateの頃だ。つまり孤独の就活の頃。ブログは確認していないが、「俺、何やってんだろ・・・」を素でやっていた頃だ。
たまにキッチンで野菜炒めを作り置きしているところへ他の住人が帰ってきたりして、「あ、こんにちはー」「こんにちはー」「どのくらいいるんですかー、え、長いですね?就活ですか?あ、私もなんです」という会話の他はノーコミュニケーション。他のゲストハウスはバックパッカーとか外国人観光客とかが飲み会三昧、と後に会社の同僚(この人は結局ずっとゲストハウスに住んでいた)に聞いた。一人かわいい子いたなぁ。家着派手だったけど。


中野新橋というのは地下鉄丸の内線の駅で、丸の内線というのは、池袋から出て御茶ノ水とか丸の内あたりを通り、新宿、中野方面に伸びていく電車だ。車体は赤のライン。丸の内線は途中の中野坂上で方南町行きと荻窪行きに分かれる。中野新橋は、方南町行きの方へ中野坂上より1個進んだところにある駅。地図見てる?

ここは駅がまずいけてない。古い。駅出てすぐに松屋がある。明治記念館でウェイトレスのバイトしてたときはここの松屋で夕食を食べるのが常だった。反動だろう。
駅前にはドトールがある。ドトールは近隣のおじさんが何かの商法で説得している。私はその横でココアをすする。その隣のコンビニで買った新聞を読みながら。
変なバーもある。すた丼もある(スタミナ丼。肉に卵とか乗ってたような)。当時から一人前は無理(多い)。


この町は、すごく「地域」っぽかった。下町という風情ではなく、小学校があってちゃんと子供がいて、生活がある。お寺があって、100均があって。
地元の人たちが住んでいて、パチンコとかあって、スナック白百合とか、ドラッグストアとか、サニーマートという明るいおばちゃん店員たちのいる店があった。
わたしはそこで身の周りの調理器具と塩(ゲストハウスの塩がよくなかったのだ)と人参とキャベツと豚肉の薄切りを買った。私の生活。
そして共用の炊飯器でご飯を炊いて、これを冷蔵庫にラップして入れる。このごはんと、塩味の野菜肉炒めで一週間食いつなぐ。たまに院の友人がおいしいところにつれてってくれたりした。

そのころの生活は、前半バイト三昧で、黒いベストと黒い長いエプロン(カフェの人みたいな)を身につけてホスピタリティが服を着てるみたいな格好をして、ひざまずいて注文を取り、「「キャベツのパリパリサラダ」「鶺鴒(カクテル)」「牛肉の朴葉焼き」でございますね、かしこまりました」と言ったり食事を佐々木倉之助に運んだりしていた。友人が冷やかしで来たが、スーツだったこともありバイトの大学生の男の子は格好いいと言っていた。実際芝生を前にグラスビールを飲む彼は格好よかった。

CM。「明治記念館レストラン鶺鴒」夏はビアガーデンでとても気持ちがいい。庭園を開放してビアガーデンにするのだ。ちょっと高いけど美味い。よろしければ。


この明治記念館から帰るには、青山一丁目から銀座線乗って赤坂見附で丸の内線に乗り、そのままゆられていく。その際トラップ。丸の内線はさっきいったように、路線が二手に分かれる。中野坂上で。そこで乗り換えがあるのだ。
その待ちの時間があんまり好きではなくて、つい中野坂上で降車してしまう。

地上に出ると息を吹き返す。見えるのはまたも松屋。無視。地階にパン屋さんがあるのでいつも食べきれないのにたくさん買う。パン大好きだ。しかし夜遅いと買えない。
そこから山手通りを南へ下っていくのが結構好きだった。左手には新宿のビル群。赤い明滅。今日もオウムが怒ってる。
考えてみるとそこは第二の台場だったかもしれない。そこへいくと、嗚呼独りだなと思い、こんなところでいったいなにをしてるんだ、コンサルなんかになれるのか、家族とも友人とも会えずに、バイトしかしてないし、という気分になった。後半は就活三昧だったので、それもそうだろう。否定される日々。身分と言うものがなく、今にも力尽きてしまいそうだった(食料の面でも)。


ビアガーデンの季節は終わり、落ち着いた日々(ひきこもり)がやってきた。たまに在京の友人(このころ院の同期は受験勉強の真っ只中か、修習が決まって地方に飛ばされていた)と飲む。
新橋にある転職エージェントのオフィスに通っては「それ、家着ですか」といわれつつ面接対策する日々。担当の人とは仲良くなった。日曜もオフィスを開けてくれて、いつもスーツなのにジャージでびっくりした。「それ、家着ですか」はこっちのセリフである。


もうひとつ。
中野新橋の生活の中で書き落とすことはできない。ジニアスという喫茶店だ。

昔渋谷にあった名ジャズ喫茶らしい。懲りすぎていない、気楽なテーブル。本棚にしまわれた無数のジャズ雑誌。ブルーノートだとかいろんなところのジャズイベントのフライヤー。落ち着いた空間。顔を正面から見せないような配置のテーブル。カウンターにぎっしり並べられたレコード。メインテーブルの両脇にある大きな大きなスピーカー。
初老のマスターの選曲が夜の雨にあっていた。店は半地下で、窓から道路が見える。雨の落ちる音が鮮明に聞こえたし、犬の散歩の音も聞こえた。わたしはそこに何時間でもいることができた。
私は三方を囲まれた一人席に座り、そこで父の免疫系の本を読んだり、文庫本を読んだり、つい最近あった江頭杯(院内サッカー大会)のことを思い出したり、出されたピクルスを嫌いなはずなのにかりかり噛んだりした。オレンジ色のメモ帳に、考え付くいろいろのことを書いた。
その合間に分厚いトーストを食べたり、紅茶を飲んだり、アーリータイムスを飲んだりした。


動画があった。素人動画で見にくいけど、2分55秒以降が店内なので。


ジャズ聴きたいって人は是非。常連さんはいるけど、入りづらいわけではない。あんまり人いないし。パソコンで仕事してる人もいる。


他は、散策したけど何にもなかった。新宿まで出るのは億劫で。ジニアスはもっと長期住んでいたら通っていたことだろう。居心地が良かった。

ゆらり中野新橋終わり。写真かなんかないかなー。



ジニアスのトーストあったよ。

June 13, 2010

富は一つの才能であり、貧しさも一つの才能である。

今後悔していることがある。
後悔なんて言葉はだいきらいだ、なのに今までに後悔したことは山のようにある!という自己嫌悪の話をしているのでは、ない。


で、後悔。
やっときゃよかったよなーって思うこと。
一つは、もっと勉強しておけばよかったという書くも陳腐な若者の悩み。
一つは、もっと旅に出ておけばよかったという書くも陳腐な青春への郷愁。

私は今、なぜだか経済学をやっていて。
前者の書くも陳腐な悩みの渦中なのである。
経済学と言う学問のなんたるかを知らないところからはじめているのである。
経済学に接するチャンスはいくらでもあったし、私が人生設計をある程度戦略的に行えたならばやっていなければおかしい学問である。大学生の頃って何も考えてなかったからしょうがないよ。とかいうんじゃなくて。
まじで、「ウィーンの都市と文化」なんて取ってる場合じゃないから。ウィーン多分行かないから。「中国法」取ってたのに全然理解できてないから。全人代のこと全人大だと思ってたし。なんで国家主席とか首相がいるのかとか。あーそうじゃなくて経済ね。経済学。
確か法学部のための経済学ってあった。そこでさわりくらい教えてもらってればよかった。当時サークルのキッティに教えてもらおうと思ったらノートがグラフだらけでまぶしすぎたので止した。後悔。あと2週間で経済学完成させなければならぬ。
やるよやるやる。試験レベルくらいにはやる。できないことはない、他の科目をおろそかにすれば。

しかもだね、これ試験レベルでやるんだけれども、面白そうなこと沢山書いてある。ああだからケインズとかマルクスとかエンゲルスとかに熱中する人々がいるのだなと納得。結構根源的な学問だ。経済の中には貨幣というのも出てくる。ほぼ日の「お金」の特集なんかもひもづけて考えられそうだ。

お金。
貧困。

「富は一つの才能であり、貧しさも一つの才能である。」コクトー


閑話休題


さっき「尾形亀之助詩集」を読んでいた。というか厳密には、その解説を読んでいた。
そうしたら、尾形という人を僕は好きになれないのだが、通り過ぎることが出来ないというようなことが書いてあって。
この人は、自分に即して生きるということをした人ではなかったか。と述べている。
尾形亀之助といえば

「私の足の小さいのに気づいた 電車くらいの大きさがなければ醜いのであった」

「これは―― カステーラのように 明るい夜だ」

「おゝ これは砂糖のかたまりがぬるま湯の中でとけるやうに涙ぐましい」

「左側を通つて下さい 左側を―― 左側を通らない人にはチヨウクでしるしをつけます」

というフレーズの有名な(?)詩人であり。

この人の作風は、「自分に即している」ということで表現されていた。
自分のことをすごく愛するということ。自分のために自分の時間や力を使う、ということ。自己で完結した人生を送るということ。それが人間本来の生き方なのではないかということ。
時代は第二次世界大戦中、全体主義の中でそれとはまったく関係無しに生きる、そのことの自由さと孤独。
その後の高度成長期、働かなければ食えないというそのことを他の人間がぐるになって言い出して、自己の時間を犠牲にしていくのに反発して、働かず、昼まで寝てしまうこと。しかしかすかに残る罪悪感。
「働かなければ食えない」といった人がおれば、これのことかと目の前で餓死するのもよかろうと言うのである。
そういう徹底して自己に即して生きるということをできなかった自分にはまぶしいし、恐ろしいと、著者言ひたり。そうやって少なからず妥協し破廉恥に生きているのであると。


破廉恥とフレンチは似ている、
なので、破廉恥なことはフレンチキスとどうもつながる。
フレンチキス・コールというのが高校の学園祭でのベストカップルの段で起こっていた淡い思い出。コール・オプションではない。

メタファーとしてのあしかに思う

うっかり、していた。
誘導されていつの間にかブログの様子が変わっていました。
ブログを二回愚ログと打ち間違え、うそからでたまこと的よのう、と。


「メタファーとしてのあしか」、というフレーズのことを、私は好きなのかどうかもわからないままに、覚えている。村上春樹「カンガルー日和」収録の「あしか祭り」だ。
メタファーとは何であるか。隠喩である。隠喩としてのあしか。断っておくが、酔っている。戯言と思って吹いて飛ばしてもらいたい。

メタファーって何、と妹のたまひけり。受験の際覚える語であるという前に、私は村上春樹でこれを覚えた。隠喩だよ。直喩の反対だ。~のような、ということでなしに(これは直喩)、「うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。」というつまりうすむらさきの思い出なのである。それは説明を不要とする、むしろ拒否するのである。メタファー。



あしかはある日僕を訪ねてくる。あしかは礼儀正しい。一昔前の中国人みたいで、タバコを吸う。バーで仲間に名刺の交換をしてくれたことを喜ぶ。名刺は象徴性の海の中でも最も価値のある象徴なのだ。あしか祭りのための精神的ご援助を、とカンパを募る。

あしかってのは、あのあしかか。

あしかだと思っていたって問題ない。それでも物語は完成している。でも、あしかではなかったら。あしか祭りとは何なんだ。

あしかが歩いて家にやってくる?名刺をもらってうれしがる?あしか祭りを開催する?しかもそれはあしかが世界を構成するある種のファクターを確実に担っていて、あしかルネサンスを目指している?あしか性を確認する作業はこの行為の連続性の中にこそあり、祭りはその追認行為にすぎない?

かといってあしかが何のメタファーなのかということはここでは一切知らされない。
いつもなんとなくわからないところが彼の魅力なのだというのは一つあるのだけれど。これを分析すると無粋になってしまいそうなのだけど。

あしかが何のメタファーなのか。

答えはない。またはたくさんある。
何かの団体、子ども、人、死、なんだ、もっと得体の知れないもの?あしか?存在?メタファー?

もしかするとこういう解決保留の何かを人のこころにひっかけておくという技術を芸術と呼ぶのかも知れぬ。


その作品の最後にこういう文章で締めくくられておくことも申し添えておこう。

以下引用
-------------------
ワッペンにはあしかの絵と「メタファーとしてのあしか」という文句が印刷されていた。僕はそのワッペンの処置に困って、ちょうど近所に違反駐車していた赤いセリカのフロント・グラスのまんなかに貼りつけておいた。すごく強力なワッペンだったから、はがすのに苦労したんじゃないかと思う。
-------------------
以上引用

とんがり鴉の話を思い出すような結末。



※朝起きてからの追記

やっぱり意味がわからんですね。そもそも発問が野暮ったいです。あしかは何のメタファーだったか、など。

多分、この「あしか祭り」はメタファーのためのものだったのではないか、というのが暫定の結論であります。亡きメタファーのためのパヴァーヌ。
大体なんだそのワッペンは。「メタファーとしてのあしか」?彼にはそんなところがあるのです、真面目なふりをして世間を斜に眺めているような。春樹の一流のジョークです。
(結局この点において私は伊坂幸太郎を好きにはなれぬのです)。

June 10, 2010

偽善について

深夜はいけない。つい書きすぎてしまう。

あと、深夜は言葉の選択がいい加減でだめだ。善など説明無しにつかうものではない。

独善、偽善、善という言葉を私は使ったのだけど。

善とは何ぞや。
これは以前書いたと思うのだが、見当たらないので一応書くと、最大多数の最大幸福である(私見)。何が善で何が悪かというのは、文化とか時代とかもはや個人レベルでそれぞれ違う。ある程度の共通性はあるのだけど。そうして、ある文化圏で善悪の基準とされているのが、最大多数の最大幸福なんじゃないかと思ったわけで。つまり多数決だな。
ただし、内心の自由がある以上は、何を善で悪だと思っていようと自由なわけである。
つまり多分主観的な善悪と、一般的な善悪があるのだろうと。思っている。

そして前のエントリで私は全くそれらに触れることなくあっさりと不用意に善という言葉を使ってしまったので反省しているということ。


で、善。
善が以上のようなものである以上、偽善も独善も大して問題は無いじゃないの、という私見。

「それは独善的である」と言ったときに、つまりそれは、君だけが善だと思ってて周りはそう思ってないよ、という意味である。まあ確かに行動が伴っていたら、小さな親切大きなお世話で、他の人には迷惑になるのかもしれないが、本人にしてみれば心から善!と思ってやってるのだからまあいいじゃないの、と個人的には思う。ちょっとした注意はすれど、そんなに糾弾しなくてもいいと思う。
これは内心=善、外形=善ではない、のパターンだ。

で、「それは偽善である」と言ったときには、君は善行をしているように見えるが内心は打算で動いていて心からの善ではないだろう、という意味である。でもこれは特に周りは迷惑していない。一応善っぽい行動で、誰かは助かっているのだから、迷惑にすらならない。周りによく思われようと善行を積んでいても、別にいいじゃないの、助かってるんだし、と個人的には思う。大体こういうことを言うのって、それによって出し抜かれようとしている人の嫉妬とかなんじゃないかしら。そうでなければ人の内面にまで干渉するおせっかいな人で、それこそ独善的なのかもしれない
これは内心=善ではない、外形=善、のパターン。


「思ったことをすべて口に出すのが義務だとでも思ってるの?」
-------------------江國香織「ホリー・ガーデン」より

きれてるなぁと思う。



で、個人的には偽善であろうが独善であろうが、別にいいじゃん、と思うということ。
自分を内省する分には勿論構わない。あれは善から出た行動ではなかったのではないか、とか、あれは大きなお世話だったかもしれない、とか。最近気づいたけれど、苦悩する人間というのは一種セクシーだ。多分。
で、一方、他人のことは結局わからないのである。偽善かどうかなんてわかりはしない。でも「なんかいいことっぽいことをしようと思って、した」、と。寧ろそれだけでその人をちょっと好きになるくらいでいいんじゃないかしら。
だいたい、よいことをしようと思えばほぼ不可避的によい人に思われるのである。それを意識したからといって偽善と呼ぶのは狭量だし、全然意識してなかったとしてそれは別に殊更にほめられるべきこととも思わない。

といいつつ私も「そんな独善的な」とテレビやなんかの報道を見て思ったりする。まあその場合は、もしかすると独善的ですらないかもしれないと思っているんだけど(つまり、内心も外形も善ではないということ)。


真理を知らないものはただの馬鹿者です。だが、真理を知っていながらそれを虚偽というものは犯罪人だ!
----------------------ブレヒト


というか、独善も偽善も、もしかしたらこの意味で言われているのかもしれない。

余談だけれど、テレビに出ている人って、すごいなあと思う。特にここでは報道番組のキャスターとか。つまり、そういう顔をして、その場にいて、そういうコメントをするということを全国に放送されるのに耐えられるということ。そういうことをやっていたということが沢山の人に目撃されてしまうということ。しかしそう信じてやっているのだろうし、信じることができるというのは一種神々しい。信じてやっているのでなければ破廉恥、まあそれもすごいに入るんだけど。



それにしても、wikipediaの偽善の項目が、編集者の主観が入り込んでいて、「思慮の浅さを反省すべきである」とか書いてあるんだけど、なんか文章全体的に思慮が浅い感じがして、ある意味ほほえましい。とか上から目線で書いてみる。

地の塩、世の光

私はクリスチャンホームで育ったので(厳密にはそうではないけどほぼ)、聖書の言葉がふっと浮かぶ瞬間というのがある。

「世の光、地の塩」

それがどこの箇所かというのはわからないのだけど、断片的に覚えているのだ。

前にも書いただろうか、そういうのを御言葉(みことば)とか聖句とか呼んでいて、そういった言葉がカレンダーの下の方とか、お手洗いの壁とか、階段の壁とか、いろんなところにかかっている環境で育ち、かつ毎週日曜は教会学校(子供用のお話会)へ行って聖書の中の話を紙芝居で知ったりした。
学校でいやな目に会った時には、母と一緒にその子のためにお祈りをしたし、また私が嘘をついてしまって苦しげに打ち明けた時も、母と一緒にお祈りをした。私は最初、なんで自分に意地悪をした子のためにお祈りするのかわからなかったけれど、じきに理解するようになった。
母曰く、つまり、イエスキリストは、自分には何の罪もなかったのに十字架につけられ、周囲の人に唾棄され、罵倒されて尚、「父よ、彼らをお許しください。彼らには何をしているのかがわからないのです」と天の父に祈った。そのおともだちが意地悪をすることは罪ゆえに、彼らがそれを許してもらえるように、祈るのだ、と(喧嘩ではなく、意地悪の類だ、念のため)。

そういう風に、私は育てられていて。

だから魂の部分で、私は人を許せるようにしたいし、どうせ生きるならいい感じに生きようと思っている。勿論私もまた大勢の人に許されながら生きている。
私に何かできるのならできるぶんしたいと思う。もしキリスト教の教義とか何かしらに納得がいかなくて決別ということになったとしても、そういう姿勢でいることは多分変わらなくて。しかしそれはもしかすると、本質的にはキリスト教が染み付いているということなのかもしれない。もしそうなのだとしたら、キリスト教は見事に私をそのような人間にすることに成功したということになる。
これは万が一独善であっても偽善ではない。そして大概は善だと思う。


生き方という面で好きな言葉がある。

「あなたの手に善を行う力があるとき、求めるものにそれを拒むな」箴言
「世の光、地の塩」マタイ福音書

後者は実際の記述は以下の通りである。
「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味を取りもどせようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつれられるだけである。あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また、あかりをつけて、それを升の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照らさせるのである。」

どのような中であっても、あなたによいことができるのならそれをしなさい、ということ。
それはあなたにとってよいだけでなく、地の塩のように皆の舌を喜ばす。世が世であれば、ろうそくの灯りのように世界を照らす。

私たちはたまに、そういう光を見る。
雑踏の中で。電車の中で。帰り道で。お店で。

太宰の
「私は、映画を、ばかにしているのかも知れない。芸術だとは思っていない。おしるこだと思っている。けれども人は、芸術よりも、おしるこに感謝したい時がある。そんな時は、ずいぶん多い。」
少し茶化しているけれど、芸術に光を感じているってことじゃないだろうか。彼が芸術で光を発したいということじゃなかろうか。まあ、おしること言ってはいるけれど。彼の理想とする芸術は、この意味でおしるこのようなものであったはずで、しかしそうではない現実を嘆じたものであると思う、この文章は。「弱者の糧」とタイトルがついている。

さて弱者とはなんじゃいな。


最近そんな言葉が浮かんだという話。
たまに母ともこういう話をする。
世の光となるような生き方をしたいものだねと。そういう意味では同士、というか、兄弟姉妹なわけだ。
キリスト教徒の中でも一応慎み深い教派だから、説教以外ではおおっぴらにはみんな言わないけれど。

最近になって、家のあちこちに御言葉があるという環境が、他ではないんだなと思うに至った。
一人暮らしの部屋にも私が英語で書かれた御言葉が添えられた浅井力也のポストカードを貼っていたのは無意識ではない。無いと落ち着かなかったのかもしれない。

最近、教会へ行っていない(気疲れするから)。それで、20数年来お世話になっている牧師先生から贈り物が届いて。
主の祈りのポストカードの裏に、先生のメッセージがあった。祈っていますと。
机に立てかける窓のような見開きの飾りのようなものの片面には鷲が2羽描かれており、もう一面には
「主を待ち望むものは新たに力を得 鷲のように翼をかって上ることができる。」(イザヤ40:31)
という言葉が英語で綴られていた。姉妹で素敵だねと言い合った。

受験のときも、いつのときも、こうやってそっと贈り物をくださる。御言葉を添えて。その言葉が一番力になると知っている。

こういう人を、地の塩、世の光と言うんだと思う。私はその方に光をみるわけだから。

June 5, 2010

大人なんだから

久々に、マニキュアを塗った。
結構前から塗ろう塗ろうと思っていて、すぐ忘れるのだった。

私は肌の色が白くない。だから、合う色がすごく限られている。というかそもそもつめに塗って合う色というのが限られているところに、肌の色がさらに限定を加えているというのが正確かと思う。あんまりエキセントリックなつめは人のはともかく自分で見るには耐えぬ。
服でも髪型でもそうだけど、私は無難に無難に生きてきている。


手のつめは、左手はいいけれど、右手は難しい。左手で塗らないといけないから。
そういうわけで、ネイルサロンというのがあるわけだ(まあ右手でもできない技術なり部品なりがあるわけだけど)。
昔会社の先輩に聞いたところによると(この人はとてもかわいくて品のあるネイルアートをしていた)、両手にちゃんとネイルアートを施すのに15000円くらいかかるという。
当時の会社の女性たちは、ほとんどがちゃんとネイルをしていて。つまり秘書さんとか人事のひととかってことだけど。言葉通り、つめの先まで気を使える人たちで。

で、そうやってちゃんとつめのことをできるのは、大人ってことなんだと思う。

ちなみに東京事変の「大人」というアルバムがあるのだけれど、それのときのつめの色がヌーディーでとても格好いい。きれい。林檎さんはいつも多分きれいにしてるんだとおもうけれど、私がまじまじと見たのはそれだったので。
真似したいけど、できない。私の手はあんまりマニキュアが似合わない。節くれだってはいないけど、骨ばっているし、大きい。少し男っぽいのだと思う。妹にはかっこいいと言われるけど、本当にかっこいいのはマニキュアも似合う手だと思う。


で、江國香織の「ホリー・ガーデン」にこんな箇所がある。

----------------
「私が何のためにいつもきれいにマニキュアをしているかわかる?」
(略)
「そうしないと、自分が大人だってことを忘れちゃうからよ」
----------------

果歩が言っているのだけど、果歩は他のシーンで、つめのマニキュアを見ながら、大人なんだから泣いちゃだめだ、大人なんだから大人なんだから大人なんだから、と心の中で唱える。


象徴としてのマニキュア。

そういえばマニキュアってちょっと伝統的なまじないのようだ。


で、私も大人なんだからマニキュアくらいちゃんとしようかなと思う。いくら沖縄で誰とも会わないっていったって。
そういや永い人に指摘されたよ、マニキュアしないの、って。多分、後ろに「僕と会うのに」っていうのがひそんでいたようだった。まあしないけど。

大井町

京急を酔っ払いながら書いたので反省して、しらふのときに京浜東北線書いたら、長すぎて閉口する。

うーんどうすればよかったのだろう。

大井町について書いてもいいねと思ったんだけど、電車と町って違うから、それはまたの機会にしようかと思っていた。まあ明らかにブラタモリ的に触発されてるよね。


大井町はですね、ちゃんと散策していないのです。家の周りくらいはわかるけどね。


大きな地図で見る

この辺に住んでいました。

大井町は大井町でも、駅の反対側は結構閑静な住宅街らしい。私の住んでた方はそうでもない感じ。古い家がたくさんあって、少し下町風。すっごい安い八百屋がある。でもあやしすぎて買えない。深夜でもおじいさんおばあさんが自転車で立ち話してる。そういう町。

駅前にはイトーヨーカドーがある。
これが!あの!桃鉄に出てくるイトーヨーカードのイトーヨーカドーか!!
っていう感動。イトーヨーカドーはしかし意外といけていない。セブンアンドワイグループなのにいけていない。価格・品質ともにいけていない。
その隣の阪急スーパー的なものの方が賑わっていたが、閉店してしまった。ここはここで古い感じで。でもワイシャツを買った。元はテイジンの繊維部門にいたというおじさんが糸のことをやたら語ってくれて面白かった。で、つい、元彼がテイジンにいます、と言ってしまった。

喫茶店はいいのがない。全然ない。あんま探してないけどない。中野新橋のジニアスに焦がれる。
そんなわけで、よくLABI(ヤマダ電機)の一階のエクセルシオールカフェで新聞読んだりしていた。
当時は土日に家にいるというのが耐え切れずに、よく外へ出た。人と会うのは土日のどちらかだけにして、どちらかは家の周囲でソイラテ飲むか、本屋行くか、マッサージとかに行くか。アトレで買い物も好きだった。買うのがすきと言うより、自然派雑貨の店のアロマ(たぶん檜)に癒されるのだった。木の匂いは結構いい。
雑貨はこころやすらぐ。だれかさんに時計を選んだこともあったりなかったり。ブランド物ではないけれど、なんかかわいかったのだ。
本屋さんもあった。充実しているとはいい難いけれど、文庫や新刊や経済誌あたりを見回る。
アトレの中には意外とオフィスカジュアルなお店がいくつかあって、かたちのきれいなスーツを買ったりした。お気に入りのお店もあった、たしか。沖縄にもあるのだけど、今は使わないので行ってない。ジャケットはたまに着ている。

アトレに行かない日は台場に行った。大井町からりんかい線で結構すぐ。東京テレポートから未来館方面へ歩いていく。台場はもういいか。

大井町の町全体のイメージは、大型店舗と商店街がごちゃごちゃでそんなにお洒落でもなく寂れてるわけでもなく、再開発されそうな感じ。かな。住んでる人もサラリーマン、OLと土着の人々がごちゃごちゃ。


鮫洲方面へ行くと更に、下町風になる。鮫洲の駅は寂れている。小さいし、人もあまりいない。京急線とJRでここまで違うか。鮫洲は各駅停車の駅なのである。赤い電車のね。
でも少しのどかさも感じる。大きな道路を渡った向こうなので鮫洲は隔たっているように見える。この道路は第一京浜と言う名前だ。タクシーで帰るときなんかは家の近くが一通なのでそっちから入ってもらう。たしかマラソンか駅伝かで走ってたはず。


大井町には結局10ヶ月住んでいた。そこそこの愛着。駅からすぐの店がいい感じだった。しゃぶしゃぶとか柔らかいステーキとか新鮮なブルーベリージュースとか、鮪とアボカドのカルパッチョだかそういうのとか、野菜のソテーも美味しかった。前菜凝ってたし、まあそんなかんじ。高級店ではない。し、そこまで美味いというわけではないけれど。シャンパンのみたい。立地がわかりにくい。地図で探せるかなー。


B&M 151A‎
品川区東大井6-2-24 ドラゴンハイツ1F
03-5471-6420‎


そんなかんじ。とにかくご飯には困った。西友で買ってた。1時までやってたのかな、すばらしい。何は無くとも西友。友人。
そんな日々であった。
大井町編おわり。

June 4, 2010

京浜東北線

めっちゃ長いよ。しかも多分東京の人じゃないとわかんないよ。すみません。

京浜東北線。

南は神奈川県の横浜、北は埼玉の大宮までをつなぐ。
京浜東北線っていう割に埼玉までかよ、と思った人の数知れず。
JR東日本の東北本線の一部を通っていて、多分まあそういうこと。ちなみに大宮以降は宇都宮線てのがある。どんどん線路を行けば確かに東北までいける。

JRである。JRだからきれい。
銀色にスカイブルーの車体、いち早く導入されたVIS。駅情報とか天気予報とか出るディスプレイね。なんか、かっこいい、というイメージ。ちょっと渋い。山手線の東側つまり新橋とか有楽町とか東京とか神田とかそのへんを通るのでそういうイメージなのだろう。朝若い子はあんまり乗っていない。スーツばっかり。

前にも書いたけれど、私は会社勤めの際大井町に住んでいた。大井町は京浜東北線沿線の駅で、品川の次。あるいは大森の次。
朝激混みで押しつぶされるし新聞持ってるだけで顔をしかめられるが、西武線とか東横線とか埼京線とかにくらべたら多分全然楽。
神谷町に会社があったから、有楽町で地下鉄日比谷線に乗り換える。だから有楽町で降りる。
大井町から有楽町まではたった5駅である。

大井町
品川
田町
浜松町
新橋
有楽町(ついた!乗り換え。)


リーマンの多く生息する地帯に停車するので、その度に沢山のリーマンを放出する。つまり、大井町の時点で激混みでも、各駅でどんどん人が減る。ので楽。


余談だけど、電車でのポジショニングって結構大事だ。特に新聞を読む場合。開かない側のドア横の隅がベスト。よっかかれるから両手が使える。人の前に立つとつり革につかまりながら新聞を読むことになり、めんどい。片手で読むためには折りたたまんといけんし、折りたたむと大体記事途中で切れるから。あと、ドア付近は混むけど出やすい。朝は颯爽と飛び出したい。
電車によっても違う。全然人降りない線なら、混んでないとこのがいい。山手線なんかはすぐ降りそうな人、つまり「あーこの人渋谷か原宿で降りそう」とか、「馬場とか池袋まで降りなさそう」とか自分の中で賭けてその人の前に立ってて読みが当たると、座れる。数駅でも省エネするよ。


でね、京浜東北線はまあそういう風に大井町時代に乗ってたんですね。


大井町から都心に出るには京浜東北線の他にりんかい線ってのがあって、これは山手線の逆方向(渋谷・原宿・新宿方面)に行くやつで埼京線ってのとつながっているんですよ。そういうちょっと若い感じのところに行くにはそっちが便利なんだけど、でもこのりんかい線から埼京線への乗り入れってのがミソで、運営が別会社なので乗り入れた途端に料金が新たにかかるんですよ。しかもりんかい線無駄に高い。あと深い。新しい地下鉄って大概そうだけど、もう浅いところには別の線が通っちゃってるからやたら深い。その分ホームが遠い。あと本数が少ない。そこらへんJRのすごさを感じるよね。さすが旧国鉄だよね。

そんなわけで、私はそっち方面に行く時も大概京浜東北線で品川まで行ってから山手線に乗り換えにしてました。同じJRなので料金もそのまま、リーズナブル。あと近い。地上。


京浜東北線のいいところは、終電が遅い。1時くらいまである。まあいいのかわるいのかって感じではあるけど、会社から地下鉄日比谷線の終電(0時4分くらい)で出ても、余裕で間に合うっていう。途中乗り換えられないかもっていうのは結構やだもんね。

あ、で、悪いところは終電がガン混みだってこと。ニシカワさんも多分毎日そんな感じなのかなって思うけれど、横浜方面に行くので、そっちに住んでいる方々がこれを逃すと帰れない、という必死さでぎゅうぎゅうになってて殺気立っている。そこにさらに乗り込むのは結構勇気が必要なのだけど、みんな帰れないよりはましだから果敢に乗り込む。私はそんなん言ってもあと1駅なので(品川までは山手線でも行けてそこから大井町までがこの電車でしかいけない)、1駅のためにこれに乗るか、タクるかというのを天秤にかけてしまい。まあ大概乗ったけど、でもタクシー選んだこともある。そのくらいすごい。


あと、重大なトラップがある。
朝利用している分には問題ないんだけど、どっかのタイミングでこいつ快速運転しやがる。昼間。
快速ってことは、何駅か飛ばすんですよ。無断で(いや無断じゃないんだけど)。
しかも、普段の車両のままだから快速なのかどうかってちゃんと車体の電光掲示板のとことかアナウンス聞いてないとわかんない。
それで、大体待ち合わせとかが有楽町だったりするんだけど、有楽町飛ばすんですよこの子。つまり浜松町で山手線に乗り換えないといけないんだけど、そのまま乗っちゃうと新橋有楽町飛ばして東京行っちゃう。で、遅刻する。


一般論に終始しておる。思い出を添加して少し。




この沿線に住む以前はほとんど乗らない電車で。
普段を早稲田近辺で過ごしていたので、山手線で言えば真逆の方面にいた。

沖縄に電車がないせいか、私は新しい電車に乗るのが好きで。東京に来た時から、都内の全ての電車に乗るのが夢で。大体乗りましたが、東武線には乗ってない。で、最初に京浜東北線に乗ったときのことも覚えている。

あれは2003年の2月14日。
当時の恋人とラーメン博物館に行くため乗ったのだった。
バレンタインなのにラー博て。って思いながらも、京浜東北線に初めて乗れるうれしさからOK。まあラーメンおいしいしね。
ラー博は新横浜という駅にある。新横浜は、特に何もなかった。ビルがいっぱいあったけれど、アミューズメント的なものはほぼなくて、桜木町なんかとはえらい違い(ちなみに当時は近くに何があるか知らなかったのでラー博行った後は「なんもないねー」とそのまま帰った)。銀行とかあったね。マルイっぽいのもあったね。

ラーメンは、おいしかったです。特に北海道の「すみれ」(味噌)と熊本の「こむらさき」(とんこつ)がうまい。すみれはもう今ラー博にはないけど、こむらさきはまだあるみたいです。
東京のラーメンで好きなのは、黒蘭だったけど、もう無い。あとは麺珍亭の油そばとかティーヌンかな。あと博多天神。食べとけば良かったって思ってるのが野方ホープと光麺と麺屋武蔵と山頭火。苦手なのは天下一品と家系。面白かったのはわたなべ。


あと、川崎チッタにライブ見に行った時も乗った。
ライブはBUMP。これもその恋人だった人に連れられて。今思えば出不精な私を連れて(あるいは連れずに)よく外に出てたなあと思う。フロンティア精神があるよね。BUMPを見るために川崎まで行こうっていうその発想がすばらしいよね。
他にも、六本木ヒルズというのができたらしいから行ってみよう、とか、ちょっと北海道までいってくる、とか、テレビ神奈川の「saku saku」のジゴロウのストラップ買いに行ってくるわ、とか、代々木公園のフリマ行ってくるわ、とか。私は「私はいいや」という感じでしたね。省エネ。
川崎はいい町だった。多分。ぱっと見。そもそもモールがあるというのが便利でいい。東京はそういうのがなくていちいち店回らないといけないので疲れる。ファミリーの住む街。

あー長い。だれてきた。いかん。

そんなわけで、トラップに気をつければいい路線です。渋いし。

June 3, 2010

人間とロボットの違い

日本の車窓から(回想編~京浜東北線~)をお送りする予定でしたが、ちょっと違うこと書きたくなったのでまた今度にします。
というか、ブログって、どうしても書いときたいことがあって更新するときと、何も無いけど無性に何か書き付けたくて更新するときと、なんとなく更新するときがあって、この2番目のやつのときなんか何書けばいいのか困ると。そういうときにこういう書ける事をみつけておくと便利かななんて思った。前に曜日シリーズ的なのをやって2回でやめたなそういえば。曜日はね、あんまり記憶をひもづけないからね。次回は京浜東北線です。

で、お隣のサイトでのトピックをお借りして。
引用させていただく。

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ロボットには人間らしさがない。だからロボットのサッカーは見ていて面白くない。と君が言うなら、その意見って本質的には選手はロボットでもいいと主張していることになる。
だって、面白くない原因はロボットが人間らしく動かないからなんでしょ。
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ワールドカップですな。
シャビとアロンソ似てるって言ったら、シャビ・アロンソって有名選手いるよってげたさんに言われて、えええそうなんだーって思ったついった。

そうそう、人間らしさってなんだよ、と。
人間じゃないものが人間らしさを習得したらそれは人間らしいのでOK、ということにはならないわけでしょということ(だろう)。
というか、人間って何だよと。もうそこまで言っちゃおう。

多分、サッカーもロボットにさせればいいじゃんって言う意見に反感がある人は、人間がやるから面白いんでしょうが!って言うんだよね。
「じゃあ人間っぽい動きをしていたらいいんじゃん。」
「人間っぽい動きをしてるから人間ってわけではないだろ。」
「じゃあ人間ならいいんだな!人間って何だよ!」
「そりゃあ人間って事は感情で動きがふらついたりとかプレッシャーでキックが強すぎたりとかファールしちゃったりとかそういう動きをすることだよ。その動きが見たいんだよ。その人にしかできないプレーを見たいんだよ。そんななかで頑張ってる人間の姿を見たいんだよ。」
「てことはだよ、そういう感情でふらついたりとか力の加減とかファールしちゃうところとかをすべてデータとして取ってプログラムで人間の形をし、擬似的な感情があって、その人にしかできないプレーもちゃんとインプットされている見た目のそっくりのロボットにさせることができたらいいわけでしょう」

手塚治だったか思い出せないのだけど、こういう話あった。
火の鳥復活編かな。
交通事故にあった少年がチヒロってロボットと恋に落ちる。でもチヒロは見た目がロボットで、でも少年にはチヒロが美しい優美な女性に見える。二人は逃避行し、闇商人の一団につかまり、美しいボスは少年に好意を寄せるのだけど少年は拒む。ボスは長い間の宇宙での激務のためこの世を去り、少年もまたこの世を去る。闇商人の一団にいた博士は、少年の遺言により少年の心とチヒロの心をひとつにしてロボットを作り、ロビタという感情をもったロボットが誕生した。このあとロビタは別の編で大量生産され家庭で愛される家族ないし召使として働くわけだけど。

このあとにも、ロボットと人間が愛し合うような話は出てくる。

そしてあろうことか、大量生産されたロビタは一斉に自殺する。溶鉱炉へ身投げするのだ。

やべ、深い。もっかい読もう。


なぜロボットじゃだめなんだろう。
なぜロボットじゃプレーを楽しめないんだろう。
なぜロボットじゃ愛せないんだろう。
 
ロボットと人間はどう違うのか。
見た目?見た目クリアしたら?
声?声もクリアしたら?
感情?これもクリアしたら?
人間性?これもクリアしたら?
歴史?これもクリアしたら?
質感?これもクリアしたら?
運動能力これもクリアしたら?
生殖機能?これもクリアしたら?
プライベート?これもクリアしたら?

ロボットは、生きていない。
人間は、死ぬ。
感情をもてたとしても、ロボットは死ぬことができない。
人間は、死ぬ。
人間は死生観を持つことができるが、ロボットにはできない。
たぶん。
うーん壊れるから死生観は持てるのか。

違いがわからん。

でも、好きな選手がいて、実はロボットでした、となっても、そのロボット選手を嫌いにはならない気がする。結婚してました、というくらいの軽い衝撃はあるかもしれないけど。

なんかクローン人間に近くなってきた。

根底にはロボット蔑視とかが。あったり。して。

私は人間なのだろうか、ていう。
私の記憶は感覚はプログラムされたもので、本当はないんじゃないか、ていう。
というとこに行き着く。
いつ始まったのか、わたしたちは。誰がはじめたのか、世界を。

被造物の混乱。

京浜急行

電車の話をしようかなって思ったんだ。

でも、以前にもうしてた。某あん神というサイトにあるように、リンクを貼るよ。ていうかあれいいよね。あのポップいいよね。
trace of:赤い電車

そうだこの時も、赤い電車だったんだ。
赤い電車は、京急のこと。
東京を走る、電車だ。羽田空港の方から浅草らへんの東京の東はじをつっきって、千葉方面へ伸びていく。

これを書いたときは、赤い電車にまつわる思い出は、つまり家庭教師で伺った家の沿線で、その帰りに、暗いけど明るいホームで待っていた、少し寂しい思い出。
でも多分この時の思い出はこれだけで。
そのあと、妹が沿線に住んだのだった。千葉の方。千葉ニュータウン中央。そこには大学があったけれど、早稲田とは全然違った。きれいだけどひっそりしていた。そして私は妹と妹の恋人を待つために、花のみえる丘公園というなんともさびしい公園にいた。だだっ広く、夕暮れ時で、LV30ばかり聴いていた。私は黒いコートを羽織っていたが手が冷たくなってしまっていて、手をポケットにつっこんでひたすら「今何時だろう 何時代だろう」って思っていた。犬がテーブルの上に乗り、かばんの中の憲法をくんくんしたりした。四人組ですけん、いい本ですよ。

こういう終点と始点がいくつもあるような線では迷う。泉岳寺だっけ。乗り換え。

その後、時は経ち、就職した際に住居にしたのが大井町であった。大井町はJR京浜東北線と東急大井町線の乗り入れている駅で。でも私の住居は大井町の中でも東よりでそちらには京急線が流れていた。それで妹の大学まで行かれるというのは面白かった。たとえ二時間かかるとしても。

赤い電車には千葉方面に行く時にはとても長閑だった。時間によるのかもしれなかったが、とにかくあたたかい日差しに呆けてのんびりした音楽を聴きながら。私はコトコト移動した。

赤い電車を最初に見たときは、赤いなと思った。幼馴染がいたら、「無駄に赤い」とつぶやいていただろう。形容するならば、木靴に塗られるような赤、だろうか。少しグレーの混ざったような。赤。
赤いのうと思いながら、ふと見ると、沢山電車の種類があって(つまり急行だとかエアポート快速だとか各駅だとか特急だとか)。品川のJRと京急連絡改札には券売機がない。窓口で買う。ただ、特に特急券が必要なものではないらしい。無駄にびびって窓口で「羽田空港まで」と言う。

大井町は品川からすごく近い。大井町で京浜東北線が止まっていると、だから京急の方へ流れる。そっちから品川へ接続してそこからは山の手なり復旧してれば京浜東北なりで、有楽町をめざす。有楽町から降りて日比谷線に乗り換えて、地下ダンジョンへもぐる。ここでLV30くらいである。PASMOで華麗にタッチ&スルーしてきた瞬間の日比谷線に乗り込む。女性専用車両に助けられた経験を生かし、守られながら日経を読む。神谷町につくとわらわら降りる。

あ、いつのまにやら電車から離れてた。電車を降りても電車の思い出は続く。

他にももっとある。赤い電車の曲が京都への夜行バスの中で流れていた事とか。PVを大隈ランチで見たとか。

今日は京浜急行でした。また次回をお楽しみに。

June 1, 2010

シック

最近早慶戦があった。

ご案内の通り、早慶戦というのは東京六大学野球のリーグ戦の最終組み合わせの早稲田VS慶應の戦いで、いうなれば巨人と阪神のごとく、往年のライバル、因縁の対決であり、かつ最近は早稲田と慶應が六大学野球の優勝を争うことが多いので、優勝決定戦でもある。
早慶戦は先に二勝した方の勝利で、一勝一敗だと第三戦が行なわれる。今年もそれ。
優勝が決定した暁には、勝利の美酒に酔いながら、神宮から大学までを数千人の学生が練り歩く(酒が振舞われるのは大学についてからだが大抵みちみちコンビニなどで酒を買い飲みつつ歩く。というか試合中から飲んでる)。新宿とかの大通り(車道)を交通規制させながら。しかも校歌だの応援歌だの何かのコールだのをしながら(うるさい)。沿道の人とハイタッチ、ビルからのぞく会社員の皆さんに手を振り、新宿の京王百貨店を見ては慶應倒せコールをする。
ちなみにその後は新宿コマ劇前での天下取りなる男の戦いが繰り広げられる模様だが、遠巻きに見たことしかない。サークルの男の子は1年次ズボンを破られる洗礼を受けたらしい。(最近は警察が厳しいのであんまり激しくないらしい。)

まあつまりは、酔っ払いの大集団的な感じである。しかも学生で社会的には割となんでも許されるような気分でいるのでたちが悪い。

で、私もパレードは4回くらい歩いたことがある。まじで最高である。
(ちなみに、早慶戦はものすごく楽しいカラオケを虚しさを除いて10倍したくらいの感じ。)

特に入学時に早稲田を愛していなくても、早慶戦で応援歌を1回から9回までの攻撃でずっと歌っているうちに、そして優勝などでもしようものならそのパレードで、いとも簡単にえんじ色に染まる。ああ早稲田でよかった、と心から思う。早稲田の人に早稲田好きが多いのは、この早慶戦含め数々のイベントやことあるごとに歌わされる校歌、先輩のそういう雰囲気がそうさせているのである。「早稲田で、ありがとう!」本人のせいではない。


それにしても、早慶ラグビーを見たことも一応あるのだけれど、静かなものである。応援団が力の限り応援するわけでもなく、みんなが立ち上がるわけでもない。そもそもルールがわからない(私見)。反則ばっかりで全然進まない(私見)。そして何その組体操、みたいな(私見)。スクラムを組む意味もいまいちわからない(私見)。テレビで見たほうがずっとまし(私見)。

つまり、早慶戦が早慶戦として成り立つには、早慶であることと大学であることと野球であるということの三つが必要不可欠なのだろうということ(雑な展開)。三位一体。
早慶であるというのはもうそうだろう。よくわかんないけど。ブルジョアとプロレタリアートというか。お互い(というか早稲田側は)いけすかねえと思っているし。まあ何気に他の大学より友達多かったりもするんだけど。早稲田にもいけすかないブルジョアみたいな人とかいるしね。
で、大学生。若い。暇。
で、野球。野球には人を熱狂させる何かがあるし、かつ伝統的に応援するスタイルだとか地元との密着具合だとかがファンにしみついている。

行きたかったなーという話。あ、それだけです。

早稲田つながりで。


最近ブラタモリの再放送で、早稲田をやっていて。タモリはたしか早稲田中退である。
住んでいたところの近くを丁度歩いていた。早稲田通りの方ではなく新目白通りの方(って言ってもわからないと思うけど、メジャーじゃない方)。神田川が流れている方(ちなみに神田川自体は全然きれいじゃない)。あまりに懐かしくてきゅんとなる。恋と間違うのも無理はない。物や場所を思うことも「恋う」っていうもんね。

丁度収録時期が春で、桜が咲いていた。
私はその桜の下を毎日大学まで歩いていた。私は街中ではこわくて自転車に乗れないので歩く。自然と徒歩圏内に家が定まる。そういういきさつ。

ブラタモリが話題なのは、タモリであること、散歩であること、より何より、東京であること、というのが大きいと思う。

まあもちろん「タモリ」であることのマニアックさというかある種のこなれた通っぽさ、純粋さ、もあるのだし、「散策」という比較的広範囲な、大人の遊びの中でも「ゲーム」とか「電車」とかの規定されたものではない自由さを伴うゆえに醸し出される大人っぽさ、もあると思う。
でもそこがもし山梨、とか、沖縄、とか、あるいは名古屋、とかだと違うのだろうと思う。それらは生きない。「タモリ」と「散策」を生かすには絶対「東京」である必要がある。

テレ東でやっていた「アド街ック天国」はそれを証明している、と思う。東京という町がいかに雑多であり多様であり魅力に富んでいるのか、そしてその地域により帯びる色味がいかに味わい深く変化していくか。そしてそれが視聴者それぞれにシェアされているということ。共感されるということ。

そしてそれを断片的に共有している首都圏の人々、地方出身者が、自分の愛着とともに画面から自分だけの思い出を想起させるのである。
この手の映像というのは、実際にそこに生活した人だけが実際の生活風景の中のいくつかとして知っているから楽しめるもので、そこに住んだことがない人には映像から想起されるものがない以上それは映像が映し出す断片的な世界なのである。同じ映像を見るということがその周りのことを思い起こさせるのかそうでないのかというのは、情報量にものすごい差がある。
脳の動きだって違うだろう。測ったことないけどね。

東京という街は、そういう街なのである。沢山の人たちが暮らしていて、沢山の風景や思い出を共有して、電車ではお互いの存在を受容し気遣うような。
東京論をいつかぶってみようかしら。

家族に、東京に行きたいか、と言われる。
行きたいに決まっている。面白い街だ。面白い人たちがひしめいてる。それはもはや期待でなく確信。ついったー見てるだけでもわかる。

永い人に「早稲田シック」とReplyされた。
本質的なことではある。
私は東京シックであり、友人シックであり、その両者に含まれる早稲田シックなのだ。早稲田に暮らした時間と場所とそこでの人々。楽しすぎた。楽しすぎて、書きすぎた。

上京したときは緊張してて東京の面白さに気づく余裕なんてなかったけれど。
8年経ったら東京ナイズされていた。塾でもヤマト言葉で教えてしまう。感覚も、持ってる服も、ゆゆしきことかな。ゆゆしきとか言いながらも、直す気はない。

早稲田シックしかり、東京シックしかり、お台場シック然り。愛しすぎた。人々を、名もない草木を、建造物を、海を、空を、クレーンを。ひたすら東京を。



人間は恋と革命のために生まれてきたのだ。
-----------------------------------------太宰治