April 24, 2011

WORK

ご無沙汰しております。

4月から横浜で事務の仕事をしています。
そういうわけで、なかなかブログを更新するというところまで手が回らない感じで。
新しい職場は出来る人ばっかりで、就業時間中ものすごく働いて定時でサクっと帰っていく、会社的にはすごくコスパいいんじゃないかなという人達。
やb超クール。

で、事務方ということも手伝ってか、主婦が多い。仕事に全てをかけていない感じがする。家に帰ったらやることがあって、大切なものもあって、この仕事が生きがいというわけではない、みたいな。仕事に生き方を規定されていないというか。とてもさっぱりしている。大人だなーと思う。お昼で出る話も、仕事のことより家庭の話。


飲食店バイトをやっていた時も思っていたけれど、いわゆる上流の高給取りではない、事務方や接客というか末端や現場の人達の中には、すごく有能な人というのが驚くほどいると思う。特にスピードや的確さが必要とされる部門で。
なんでそんな大量のもの一気に捌けてるの、とか、なんで同時に10個のテーブルの注文コースとその進み具合把握してるの、とか。

上部の方で経営とはなんぞや、戦略がどうだ、というのも勿論必要だし大事な仕事なのだけれど、結局それを形にするのは現場だし、顧客と接するのもその人達で。一番その会社とかお店への評価を左右してるのは現場の人達だよなあと思う。そういうのについて、どっちの仕事がすごいとか、どっちの仕事をやっているから偉いとかいうのはものすごくナンセンスだよなあと改めて思う次第。寧ろ薄給なのに現場でサクサクやってる人のほうが良心的だなとすら思う。
いや、でも上流の方の仕事はメンタルの部分を仕事に差し出している気もするので大変だよねと思ったり。
ほんと、一概には言えない。


「何者でもない」というのは、ある時点では心もとないことだった。情けないことだった。
けど、ある時点からそれは「自由」になった。
今みたいに会社に属してからも、やはり自分の意識の中では「何者でもない」んだろうと思う。ひとりの人間。一個のたましい。その範囲でやれることをやりたい。


でもあえて、「何者かである」ことを選択した人達も知っている。
社会的な何か事を成そうとするなら、その名を担保にしなければならない。のかもしれない。
何者かになるというのはそういうことであろうと思う。