July 27, 2013

備忘録としての地球への礼儀

何かを考えていることはおもしろいことだ。
考えていないよりも人の目を引きやすいし、考えていることで安心もする。
それを人に話して感心されるのも気持ちの良い事だし、うまくいけば誰かに影響を与えられる。この世界で自分が誰かに影響を与える?それはすごいね。

例えがうまいのも、話が上手い人の特徴で、イエス・キリストはもちろん世界の多くの指導者はミニマルな的確な例えを用いて皆を説得する。
例えがうまいのは、本質を理解しているからだ。しかし、その例えは飾りなのだ。それはものごとをうまくまとめるツールなのだ。そういった飾り抜きにして、その本質が正しいのか、その本質は私にとって重要なのか、その本質は私の世界と親和性のあることなのか、それに呼応して生きようと思うのか、そういうのを検討しないと意味は無い。
感心することと納得することはまったく違う。

私はそういった、概念や真理を考える人間の所作が好きだ。 もがいている感じがするから。正常な感じがするから。
私自身そうなろうとしてきた過去があるし、今はこんなにそういった真理や概念やたとえ話や雰囲気に飢えている。枯渇している。それを与えられればぐんぐん吸い込んでしまう。引き込まれる。もがく者同士のシンパシイ。

でも、その一方で自分の中で培ってきたひとつの理解が主張する。

もうそういう話、いっぱいしたじゃん。
これからとか、成長とか、人生とか、生きるとか、力とか、向き不向きとか、価値とか、自分なりに考えたじゃん。
それで何かできたっけ。
でっかいこと考えたのにできないことばかりじゃなかったっけ。
考えるしかできないなんて、できないのと同じことだって、思わなかったっけ。
自分の無力さや、弱さを認めて、同じように別の人の無力さや弱さに寄り添おうって、思ったんじゃなかったっけ。

なのに首をもたげてくるプライド。私はわかっている。君はわかっていない。私は大人。君は子供。
ていうかお前が一番わかってないよ、と自分に言いたくなる。
人の数と同じだけある数の世界。価値観。
私たちは電車でも道でもこんなに近づいているのに、全く別の世界で生きている。 涙がでるほどの孤独。あなたの頭の中は誰にも侵害されない。そのかわり、誰とも共有できない。あなたは良くも悪くもひとりぼっちで。

信頼する人は少しでいい。1人でも見つかればついてる。ひとりぼっちがそうでなくなるわけだから。

汚れっちまったかなしみは 
たとえば地球がためこんだ化石燃料
それを燃やして飛んだとして
次はどこの星の引力にからめとられるのか
そこでまた違う形のストレスと憤懣をためて
飛ぶのだろうか
飛んだらえらいんだろうか


私は一人で芝生に立っていたい





July 26, 2013

おしなべて同じ

横浜に戻った。
一日のほぼ半分が仕事で構成される日常はあまりにもシステマティックで流れに乗っていて、その目の前にでてくる何かをやっつけているうちに一日が終わって、特に何も考えないままに眠りにつく。
労働力としてのわたし。

納得したと思っていたのに納得できていなかった自分もいる。

客観的に、私より大変なひとなんてたくさんいる。
でも私の人生を私の目線で見ててくれる人はもう私しかいない。
し、その人の人生をその人の目線で見られるのも多分その人しかいない。
答えを提示するのもされるのも違う。
すくうすくわれる、なんてない。
不平等にみえるけどほんとは平等。
価値をフラットに。