March 22, 2014

定期的に見る

No.1/tofubeats



March 20, 2014

HARU

ひさびさ。

春になった。
それは誰にでも分かるくらい圧倒的な春の気配で。

地球の地軸は相変わらず傾いていて、地球自身も相変わらず公転しているので、そうである限り、日本に春は必ずやってくるし、それなら気づかないうちに春になっていてもおかしくないくらい四季の移り変わりはシームレスであると思うのだけど、つまりいきなり地軸が大きく傾いたりいきなり公転の速度が速くなったりはしていないと思うのだけど、それでも感覚で、あゝ今日から春だ、と思う日はある。ちなみに花粉については感受しない。


春だからではないけど、職場が変わった。
基礎からいろいろ教えてもらって社会復帰みたいなことをさせてもらえた職場から、院の同期やその仲間たちがやっている事務所へ移動し、とはいえ寂しさも、勿論緊張もあったしもやもやすることもまああるにはあるのだけど、比較的スムーズに移動しつつあるのではないかと思う。


3年経ったら中学や高校を卒業するように、3年経ったら違うことになっている、 という思想というのかジンクスのようなものは、割と気になっていた。
小学校は6年だけど、とりあえず転校したので5年だったし、そのあとは全て3年間で環境が変わって院まで卒業していて、3年というスパンは短いようでいて結構激しく変化する時間でもあるような気がする。でも自分の3年前を見て面白がることはできても、自分の3年後を描くことはやっぱり不得手である。描いてしまったら、自分で自分の未来を規定してしまうような予感がして、すぐにやめてしまうし、それをさせようとする就活的自己分析に反発があった。
結局のところ私は何を探しているのだろうと思う。


で、職場が横浜から都内になった。
都内というのはとても特殊なところだと思う。東京には、「一人でやっている感じ」というのがあって、初めて上京して入学式までいてくれた母が実家へ帰ってしまった後の春の匂いとか、冬が近づいて沖縄では感じたことのない冷たい澄んだ空気の匂いにふるさとを思いやったこととか、多分主に一年目に初めて感じた匂いと感情がリンクしているのだと思う。でも、横浜にいるとそういう感情は出て来ない。
実際東京の匂いと横浜の匂いが客観的に違うというのもあると思うし、あとは東京の景色や雰囲気がそうさせるのだと思う。一人で歩いている人が多いからそう思うのかもしれない。


なぜだかいろんなことを思い出す。今までの31年間でも結構いろんなことがあった人生だったなと思う。まだ生きるつもりでいるけど、どこで「あがり」になるのかは私達にはわからない。

そこにいるのが当たり前だった場所はするするといつの間にか流れ去っていて、もう二度とは戻れない。
いつかながいさんが、卒業して数年後に、院の建物の、いつも雑談してた3階のラウンジにその時と同じ服を着て集まろうよ、みたいなことを今は遺物と化しつつある某みくしーでコメントしてくれていたけど、たまにそのことを思い出して、 ながいさんは覚えてるのかなと思ったりする。

そろそろお台場だな。