July 12, 2014

Re:

ブログ書かなくなったなーと思って、なんでだろうなーと思って、多分いくつかの原因はあるのだけれど、一つには自分のデスクに向かわないからだな、と思った。
リビングの居心地がいいのと、MacBookもリビングに置いてあったので、膝の上に乗っけたりして使っていたのだが、いかんせん膝の上だと長い文章を打つ気にならず、軽いブラウジングやiTunesへのリッピングや写真管理くらいにしか使わないようになってしまっていたのでした。

その反省を踏まえて、デスクへ移動してみたら、MacBook使うために割とデスクに来るようになり、長い文章も打つことができるようになりましたとさ。

もう少しブログ書きたいよね。やっぱり。
この思いつくままにタイピングしていく気持ちよさ。
職場でメール打ったりなんだりでタイピングはするけれど、思いつくままにキーを叩く、思考と連動したタッチと小気味良いカシャカシャ音。


で、ブログを書くとする。
最近来し方を振り返る、というのが多いような気がする。
東京に職場が移ったからというのは大いに関係している気がする。以前住んでいた場所へニシカワ君と行ってみたり、仕事で大学へ行く機会があったり。そもそも職場自体も、院の同期がたくさんいるし来るので当然といえば当然なのだけど。

この10年くらいで結構いろんなことがあって、10年分年をとって、多分10年分大人になった。
10年前は院に入った年で、あの頃は過度に何かを怖がっていたし、逆に恐れるべきが何かを知らなかった。青春らしきものが学部より少し濃い形で続き、制度というか気運というか大きな流れのようなものに巻き込まれていた。何かの差で私は最終的にはその本流からは外れたけれど、今多分支流の支流くらいの位置にはいて、その流れというものが何だったのかを今になってやっと確認できる、みたいな感じだ。母が、私が高校生のころ、言っていた言葉を思い出す。「今、目の前に靄がかかっているような、混沌とした感じでしょう?将来って言われても、なんだかよく見えないでしょう?でも、年をとるとだんだん見えてくるんだよ。お母さんはこの歳になって初めてわかったこともいっぱいあるんだよ。」

靄の中を揉まれ流されていたわけだけど、いずれにしてもそうなるしかなかったし、それでよかったなと思う。
人によるとは思うのだけど、自分でコントロールできることというのは私にはほとんど無いなと思う。なるようになるし、なるようにしかならない。ならないものを、そう「する」ことはできない。

そうしてなるようになった結果、いまここ。
そして、今まで生きてきた31年間(もう31年も生きているなんて驚きだ)、概ね幸せだったということは本当に感謝すべきことである。苦しいことがあっても、それに耐えうる助けがあった。


しかし私はまったく、新しいことを書かないな。
振り返ることばかり好きだ。今のこの時点が過去の積み重ねであることを確認することによってしか、今が成り立っていないと考えているからかもしれないし、単純にその方が今のこの風景を切り取るだけより若干の深みみたいなものが出ると思っているのかもしれない。
私が今を風景として切り取ると、
通勤がそこそこ大変で、職場もいろいろあるけどまあ総じて楽しくはやっていて、ニシカワ君とも仲良くマリオカートをしていて、今日のごはんは鯖のみぞれ煮にしようと思ってる、
みたいになる。

今後はちゃんと書いていきたいなーというエントリでした。